前身校校長の銅像 上田東高生が清掃
2012年9月5日(水) 信濃毎日新聞
▼以下転載
上田東高校(上田市常田)生徒会の約30人は3日、上田市内の上田城跡公園で、同校前身の小県蚕業学校の初代校長、三吉米熊(1860~1927年)の銅像を清掃した。同窓会役員から三好の業績を聞いた後、20分ほど作業をした。
三吉は、1889(明治22)年に養蚕業を視察するため渡仏。帰国して校長に就任し、亡くなるまで35年間務めた。公園内には殉職した同校の卒業生、渡辺平和の記念碑もあり合わせて清掃。渡辺は卒業後、埼玉県に養蚕科の教師として赴任し、実習中におぼれた生徒を救おうとして1919(大正8)年に亡くなった。
清掃は、三吉の命日9月1日か前後に続けている。生徒会3年浅川佳祐君(18)=立科町=は「上田東高がことし創立120周年を迎えられるのは、土台をつくった先人たちのおかげ。功績を後輩たちに引き継いでいきたい」と話していた。
▲転載ここまで
今年で上田東高校はなんと120周年だそうです。
三吉米熊の像があるのは上田城跡公園の市民会館の近くです。また渡辺平和の記念碑はたしか本丸の通称だんご山のところにあったと思います。
上田東高校の前身の小県蚕業学校、そして、信州大学繊維学部の前身の上田蚕糸専門学校、その両方が日本の養蚕業を支える人材を輩出していた学校です。
三吉米熊といえば、そのお父さんは坂本龍馬にまつわる寺田屋事件で有名な長州藩の三吉慎蔵です。
先人たちが築いてくれた歴史があるからこそ今がある。
そういうこと大事にしていきたいですね。
(文:mitu)
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