上田・浦里小学校火災 今後のロケ誘致に不安
2012年9月8日(土) 信濃毎日新聞
▼以下転載(第一社会 39面)
上田市浦里小学校の校舎などを全焼した火災を受け、同校での映画やドラマのロケを仲介、支援してきた「信州上田フィルムコミッション(FC)」には7日、都内の映像関係者らから被害状況を問い合わせる電話やメールが相次いだ。今月下旬に同校で予定されていた映画のロケも中止。同FCは「今後、大作映画の誘致が難しくなる懸念もある」としている。
同FCが把握しているだけでも、浦里小では1993年から昨年までに、1924(大正13)年建築の旧管理棟(旧校舎)などで13本の映画作品が撮影された。映画「私は貝になりたい」の他、昨年の「南極大陸」などのテレビドラマを撮影したテレビディレクターで映画監督の福沢克雄さん(48)は「『昭和の大作』を撮る監督なら知らない人はいないほど、業界では有名なロケ地だった」と話す。
「学校の息遣いが感じられ、地元住民は撮影に非常に協力的だった。焼失を知って泣きたい気持ちになった」という。昔の学校が登場する映画撮影では、教室や校門側からの校舎の風景は同校、グラウンド側からの校舎は1934(昭和9)年建築の旧西塩田小学校(上田市手塚)=現在は通信制のさくら国際高校が使用=を合わせて使う場合が多く、同FCの原悟さん(33)は「旧塩田西小もロケ地として生かせなくなるかもしれない」と心配する。
浦里小で映画「淀川長治物語 神戸編 サイナラ」を撮影した映画監督、大林宣彦さん(74)は7日、取材に「夏の暑さや冬の寒さが感じられ、磨き抜かれた廊下や古い傷が残る浦里小だからこそ、(映画評論家の)淀川さんの少年時代が撮れた。焼失は残念だが、上田市民は学校の大切な記憶をしっかりと未来へ受け継いでほしい」と話した。
▲転載ここまで
浦里小学校の記事を読んでいくと地元の住民に愛されていたという事と合わせて、映像関係者にも愛されていたロケ地なんだなと感じます。
校舎は焼けてしまいましたが、大林監督の言葉のように、学校の思い出や記憶はしっかりと受け継いでいきたいですね。
(文:mitu)
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